アングル:ドイツ式コロナ戦略、「感染者ゼロ号」から徹底追跡

アングル:ドイツ式コロナ戦略、「感染者ゼロ号」から徹底追跡
ドイツでは新型コロナウイルス感染症による死者が2100人を超えているが、総人口が少ないイタリアは計1万7600人以上の死者が出ている。写真は警察官、看護師、消防士を検査する医療スタッフ。3月31日、ケルンで撮影(2020年 ロイター/Thilo Schmuelgen)
Jörn Poltz Paul Carrel
[ミュンヘン 9日 ロイター] - ドイツのある自動車部品メーカーのランチタイム。社員の1人が「塩を取ってくれ」と同僚に頼んだ。1月のある日のことだ。
その瞬間、塩の容器とともに新型コロナウイルスが手渡された。これが、その後の専門家による結論だ。
そもそもそうしたやり取りが記録されていること自体、徹底的な検証の成果であり、新型コロナウイルスに対する世界的な戦いにおいて、ドイツがまれにみる成功を収めている理由といえる。
アジア以外の地域では、この同僚同氏同士の接触が、新型コロナウイルス感染で初めて記録として残される初期段階の感染経路だ。
場所はバイエルン州ミュンヘンに近い、人口4000人の街シュトックドルフ。彼らの勤務先は自動車部品サプライヤーのベバスト・グループ。ベバストは、社員の1人である中国人女性がウイルスに感染し本社に持ち込んだことを公表、世界中の注目を集めた。
ウイルスはベバスト本社で同僚たちに広がった。後に専門家が解明したところでは、そのなかに、社員食堂でランチをとっていた、問題の中国人社員とは何の接触もなかった人物が含まれていた。
1月22日の社員食堂での場面は、専門家らが記録した何十件ものありふれた出来事の1つである。彼らは、バイエルン州政府がウイルス拡散を防止できるよう、感染した労働者の追跡・検査・隔離を進めている。
こうした追跡調査は、新型コロナウイルス感染症対策でドイツが貴重な時間を稼ぐことに貢献した。
ドイツによる「時間稼ぎ」は、生命を救うことに貢献した可能性があると専門家らは言う。国内での新型コロナウイルス感染症の発生はイタリアよりも早く始まったにもかかわらず、ドイツでの死者はかなり少ない。イタリアで最初の国内感染が確認されたのは2月21日である。その頃までにドイツはすでに保健省による啓発キャンペーン、広範な検査を柱とする政府のウイルス対策が開始されていた。
これまでのところ、ドイツでは新型コロナウイルス感染症による死者が2100人を超えているが、イタリアでは、総人口が少ないにもかかわらず、合計1万7600人以上の死者が出ている。
ミュンヘンで患者の治療に当たっている医師クレメンス・ベントナー氏はロイターの取材に「感染を食い止めるためには、その経路を注意深く追跡していかなければならないことを学んだ」と語った。
ベントナー医師は、国内トップクラスの研究者と連携して、後に「ミュンヘン・クラスター」と呼ばれる状況を調査し、バイエルン州政府に対応方法を勧告した。バイエルン州が先頭を走る格好となり、3月22日にはロックダウン(都市封鎖)が全国に拡大した。
イングランドのクリス・ウィッティ主席医務官(CMO)などの専門家は、ドイツが早くから広範な検査を行ったことがウイルス拡散のペースダウンにつながったと評価している。「ウイルス感染の検査実施能力という点でドイツは一歩先を行っていたことは誰もが知っている。学ぶべき点が多い」とテレビで語った。
シャリテー病院(ベルリン)に所属する有力なウイルス学者であるクリスチャン・ドロステン氏は、初期のクラスター(感染集団)が明確であったことがドイツにとってはありがたかった、と語る。
「そもそもの発端としてミュンヘンのコホート(感染者群)があったから、本腰で取り組めば、それがさらに拡散することを食い止められることが明確になった」。ドロステン氏は、NDRラジオが新型コロナに関して毎日配信しているポッドキャストで、このように語った。
ドロステン氏は本記事のためのインタビューには応じなかったが、「ミュンヘン・クラスター」の調査に参加した40人以上の専門家の1人である。その取り組みは、先月末にまとめられた調査論文に暫定的な形でまとめられている。この論文はまだピアレビュー(査読)を経ていないが、NDRのサイトで公開されている。
<デジタル・カレンダー>
ベバスト社員の1人が新型コロナウイルスで陽性と判定されたことを同社のホルガー・エンゲルマン最高経営責任者(CEO)が当局に報告したのは、1月27日だった。上海で働くこの女性は、ベバスト本社における数日間のワークショップの運営に当たり、複数の会議にも出席した。
この女性の両親は武漢在住で、女性が1月19日にシュトックドルフに出張する前に娘のもとを訪れていた、と調査論文は述べている。ドイツ出張中、女性は普段とは異なる胸部・背中の痛みを感じ、その間ずっと倦怠(けんたい)感を抱いていたが、そうした症状は時差ボケのせいだと考えていた。
彼女は中国に戻る機中で発熱し、着陸後に陽性と診断されて入院した。両親もその後陽性と診断されている。彼女は検査結果を上司に報告し、彼らがCEOにメールで伝えた。
ドイツでは、エンゲルマンCEOが直ちに危機対応チームを編成し、医療当局に報告、この中国人社員と接触のあったスタッフを追跡する試みを開始した。
追跡対象にはCEO自身も含まれていた。「報告を受けるほんの4ー5日前に、私は彼女と握手していた」とエンゲルマンCEOは言う。
現在ドイツの「患者第ゼロ号」とされるこの上海在住の患者は、「経験も長く、プロジェクト・マネジメントの面で実績ある社員」であり、自らも直接の面識があったとエンゲルマンCEOはロイターに語った。ベバストは、匿名にする方が国家規模のウイルス封じ込め策に対して社員の協力を得やすいとして、この女性社員やその他関連の社員の氏名を開示していない。
女性社員と接触のあった者を探す取り組みは、ベバストの社員がデジタルでスケジュール管理を行っていたことで容易になった。医師たちが必要としていたのは、社員らの面会予定だったからである。
ミュンヘンで感染者の治療に当たるベントナー医師は「思いがけない幸運だった」と語る。「感染経路を再構築するために必要としていたすべての情報をベバストの社員から得ることができた」
専門家らの論文によれば、たとえば「患者第1号」、つまりドイツ国内でこの中国人女性から感染した最初の人は、1月20日に小さな部屋で開かれたミーティングで彼女の隣に座っていた。
こうしたリンクをすべてたどることにより、彼らは「患者第4号」が上海から来た患者に複数回接触していることに気づいた。そして、「患者第4号」は社員食堂で、1人の同僚と背中合わせに座っていた。
この同僚が振り向いて塩を取ってもらったとき、ウイルスは2人のあいだで移動した。そしてこの同僚は「患者第5号」になった。
ベバストは1月28日、シュトックドルフにおける業務を当面停止すると発表した。「ミュンヘン・クラスター」では1月27日から2月11日にかけて、合計16人の新型コロナウイルス感染症患者が確認された。1人を除いて全員に症状が見られた。
陽性判定を受けた者はすべて入院して経過観察を受け、医師たちはこの疾病について学ぶことができた。
バイエルン州では3月中旬に外出制限に踏み切った。その後ドイツ国内では学校、店舗、レストラン、遊技場、スポーツ施設が閉鎖され、多くの企業もウイルス対策への協力として業務を停止した。
<「ハンマーとダンス」>
ドイツが新型コロナウイルス感染症に対して勝利を収めたとはまだ言えない。
ドイツにおける新型コロナウイルスによる死亡率は、感染の深刻な国のなかでは最低であり、ロイターによるデータ集計では1.9%。一方、イタリアは12.6%に上る。だが専門家らは、ドイツ国内でさらに死者が増えることは避けがたいと話す。ドイツ国内のロバート・コッホ感染症研究所のロター・ビーラー所長は、「死亡率は上昇するだろう」と言う。
ドイツとイタリアの差は、統計上の理由による部分もある。ドイツの死亡率が大幅に低いように見えるのは、広い範囲で検査を行っているからだ。ロバート・コッホ感染症研究所によれば、ドイツ国内では130万件以上の検査が行われている。ドロステン氏によれば、現時点では最大で週50万件の検査を実施しているという。
イタリア市民保護局によれば、イタリア国内では2月21日以来、80万7000件以上の検査を実施した。各地でのわずかな例外を除けば、イタリアでは、明白で深刻な症状を示して入院した人についてのみ検査を行っている。
ドイツ連邦政府は数週間で、約2万8000床だった集中治療室(ICU)のベッド数を2倍に増やした。ドイツは2012年の調査でも、すでに人口当たりのICUベッド数では欧州最大となっていた。
だが、それでも十分ではないかもしれない。内務省が3月22日に他の省庁向けに送付した資料には、死者100万人以上という最悪のシナリオも記載されている。
もう1つのシナリオでは、死者1万2000人とされている。外出などの制限を部分的に緩和したうえで、検査を拡大する場合だ。このシナリオは、ブロガーのトマス・プエヨ氏が言いだした「ハンマーとダンス」という名前で呼ばれている。厳しいソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)を含む数週間にわたる迅速かつ積極的な措置(ハンマー)を行い、その後、そうした措置を感染率に応じて加減しながら継続していく(ダンス)という趣旨だ。
ドイツ連邦政府の資料は、「ハンマーとダンス」シナリオでは、ビッグデータと位置追跡の活用が不可欠だと述べている。こうした監視体制には賛否が分かれることは確かである。ドイツでは、旧東独における秘密警察「シュタージ」とその密告者にまつわる記憶は、今も多くの人の記憶に新しい。
連邦政府がまとめた今後の行動計画草案では、全国的なロックダウンを経て通常の生活への段階的な回帰を実現するうえで、感染経路の迅速な追跡、公共の場所でのマスク着用の義務付け、集会の制限が有益だろうと提案している。連邦政府は、感染追跡を支援するスマートフォンアプリの開発を支援している。
ドイツは、4月12日の復活祭(イースター)祝日の後にロックダウンの効果を再評価すると述べている。最初の感染拡大の中心となった自動車部品メーカーでは、当面の危機は過ぎ去った。ベバストのオフィスは業務を再開している。
ベバスト関連で新型コロナウイルスに感染した16人は、全員が回復している。
(翻訳:エァクレーレン)

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