コラム:ローカル化する円、没落回避にできることは何か=大槻奈那氏

コラム:ローカル化する円、没落回避にできることは何か=大槻奈那氏
 投機的な人気の裏で、日本円の実取引での不人気ぶりは顕著になりつつある。9月23日撮影(2022年 ロイター/Florence Lo/Illustration)
大槻奈那 ピクテ・ジャパン シニアフェロー
[東京 30日] - 政府・日銀の24年ぶりの円買い介入に英ポンドの混乱などで、ドル/円レートのボラティリティは過去5年間で最高水準に上昇し、個人を含む投資家の関心を集めている。世界的な関心度を示すGoogle Trendsでも、“ドル円”の検索頻度は調査開始の2004年以降の最高を更新し続けている。しかし、こうした投機的な人気の裏で、日本円の実取引での不人気ぶりは顕著になりつつある。
<実取引で不人気な円>
8月に実施された国際通貨基金(IMF)の特別引し出し権(SDR)の構成の5年ごとの見直しで、日本円の比率は8.33%から7.59%に引き下げられた。ユーロやポンドもそれぞれ引き下げられたが、引き下げ率は日本円が最大である。
1995年ごろの日本円の構成比率は18%だったが、その後は低下の一途だ。一方、2016年にSDRに採用された中国人民元の割合は今回の見直しで10.92%から12.28%まで上昇、ドル、ユーロに次ぐ第3位となっている。
日本円の地位はなぜ、これだけ低下しているのか。邦銀のクロスボーダー与信は、ドルベースで2015年以降世界一の残高を誇り、この間の伸び率は主要国中最大である。にもかかわらず、世界の円建て与信の割合は、2011年末の3.8%から直近では2.8%まで低下した。
新興国向けに限ると、2.3%から1.5%まで低下している。いずれも、ドルやユーロに比べて著しい変化率となっている。邦銀は、その与信市場でのプレゼンスにもかかわらず、利用通貨の面ではバーゲニングパワーを発揮できず、結果として、330兆円に上る預貸ギャップ(預金から貸出を引いた金額)を生かせていない。
世界の与信市場で日本に代わって勢力を増しているのが「その他通貨」である。「その他通貨」の比率は、10年間で3倍の6.7%となった。さらに、新興国(中国を除く)のクロスボーダー与信に占める「その他通貨」の割合は、11%と円の7倍近い。国際決済銀行(BIS)は「その他」の内訳を開示していないため詳細は不明だが、ここでも人民元のプレゼンスが急拡大していると思われる。
民間企業間の決済についても、円の地位の地滑りが目立つ。国際送金・決済システムのSWIFT(国際銀行間通信協会)によれば、今年8月時点の世界の決済額に占める日本円の割合は2.7%と前年同月の3.6%から大きく低下した。
一方、人民元は、8月に2.3%と過去最大となった。最近では毎月概ね0.1%ポイントずつ上昇しており、ここでも円が人民元に抜かれるのも時間の問題かもしれない。
<悲願だった円の国際化の現実>
通常、国際貿易取引では輸出国の通貨が選ばれる傾向にある。人民元決済拡大の背景は、言うまでもなく中国の輸出の増加だろう。一方、日本はかつて製造業が強じんな競争優位性を有していた当時から、円建て取引の低迷に悩んできた。
過去にはこの問題への取り組みも何度か試されてきた。日本政府は、1998年に円、ドル、マルクの「3極通貨」プランを提案し、1999年には、外国為替等審議会が21世紀に向けた円の国際化への施策を提唱した。2001年には、90年代末の通貨危機を教訓に「アジア通貨バスケット」構想を打ち上げた。しかし、いずれも十分な成果は挙げられなかった。
当時は金融機関の不良債権問題等で円の信認が不足していることが、その理由として挙げられた。その後、金融機関の問題は解消されたものの、同時に輸出国ニッポンとしての力が低下したことから、通貨の地位向上は果たせぬ夢となった。
このような円の不人気はさらに加速する可能性もある。第1の理由はイノベーションの低迷である。日本独自の製品を輸出できるのであれば、商取り引き上のバーゲンニング・パワーが増すかもしれない。しかし、日本の製造業が世界を席巻したころでも発揮できなかった力を、今の日本のイノベーション力で奪還するのは相当ハードルが高いだろう。
第2に国内資本市場の課題である。通貨の国際化には、国債市場等の資本市場が成熟しており流動性が高いことも重要な要件とされる。だが、日銀のイールドカーブ・コントロール(YCC)等のオペレーションで、国債市場の価格発見機能が損なわれ、IMFなどからも市場の流動性の低下が指摘されている。
加えて、あくまで一時的かもしれないが、昨今のボラティリティの上昇も不安材料だ。他国通貨との交換費用が低いことも選ばれる通貨のポイントの1つだ。従って、ボラティリティの上昇で交換リスクが高まっていることは、円の利用率向上の面では不利だ。今後、新たに為替介入が実施されれば、ボラティリティは一時的に抑制できるかもしれない。しかし、介入は為替レートの予見可能性を低下させ、企業等が円資産の価値の不確実性を高めかねない。
一方、中国は、アジアでの通貨覇権を狙って着実に歩みを進めている。今年6月下旬、中国人民銀行は、市場のストレス時に人民元を参加国が利用できる新しい緊急流動性協定をBISと締結した。 シンガポール、マレーシア、インドネシア等の東南アジアの大国の中央銀行が参加を表明した。
これに先立ち、一部の東南アジア諸国は、域内決済でドルの使用を削減するとの方向性を打ち出している。中国は、国内的には不動産市場やゼロコロナ政策の副作用等の問題はあるものの、人民元の国際利用は着実に進んでいる印象だ。日本が実現できなかったアジア通貨構想は、形を変えて中国が実現するかもしれない。
<使われない通貨の宿命とリスクシナリオ>
円が一層マイナーな通貨に転落した場合、どのような影響があるだろうか。日本のメガバンクは、コロナ発生前の2019年3月の3年間で、外貨建て資産を29.7%も増加させている(ドル建てベース)。連結総資産の伸びの13%を大きく上回るペースだ。
今後も国内で収益が上がらない分、海外資産の増加は続くだろう。だが、円のマイナー通貨化が進めば、円投や為替ヘッジのコストが上昇する可能性が高い。邦銀は、かつてと比べて現地預金を増加させたり調達を長期化させるなどして安定化を図っている。それでも、自国通貨建てに比べて高コストであることには変わりはなく、さらなるコスト上昇は痛手だ。
企業も同様である。外貨建て貿易の比率が高まれば企業の為替リスクも上昇する。為替交換時のスプレッドも、マイナー通貨になれば厚くなる。個人の海外渡航時の両替レートにも響く。円の保有コストが高まれば、海外のホテル等で円の用意がなくなる可能性も排除できない。
通貨の宿命は、使われない物はますます使われなくなることだ。過去に遡れば、基軸通貨から転落した英ポンドは他国での利用が低下し、1992年にはヘッジファンドの売りに押され大暴落を経験した。むろん外貨準備や経済規模等様々な違いはあるが、マイナー通貨になればなるほど、投機的な動きに狙われやすくなる可能性は排除できない。改めて、円の国際化の施策を考えるべき時に来ているのではないか。
(編集:田巻一彦)
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*大槻奈那氏は、ピクテ・ジャパンのシニア・フェロー。東京大学卒業、ロンドン・ビジネス・スクールでMBA、一橋大学ICSで博士(経営学)。スタンダード&プアーズ、UBS、メリルリンチ、マネックス証券などでアナリスト業務に従事。2022年9月より現職。名古屋商科大学大学院教授を兼務。
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