コラム:経済学者に必要な「心理学」修行

Edward Hadas
[ロンドン 11日 ロイターBreakingviews] - 心理学と経済学を融合させると、何が生まれるだろう──。「行動経済学」という名のもとに1つの答えを示したのが、先日ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏だ。
シカゴ大学のセイラー教授が人間の精神を研究する手法は、陽気というより陰気である。教授が名声を博したのは、人々が合理的に思考しない複数のパターンを指摘したことによる。
だが、人間らしい混乱をただ集めただけでは、とうてい心理学は成立しない。心理学的な研究が経済学にもたらす恩恵は、今日の行動経済学者の大半が恐らく理解しているよりも、はるかに大きいのだ。
企業トップによる投資判断に関する標準的な経済モデルを例に取ろう。彼らが投資を行うのは、あるプロジェクトの期待利益が、そのための資金調達に要する資本コストの加重平均を上回る場合であり、その場合に限られる、という想定だ。
しかしこの場合、知識に基づく推測という以上の計算が必要とされているのに、実際には未来はあまりにも不透明である。実際、経済モデル作成者は、現実世界の変化についていこうという素振りさえ見せない。弊社コラムニストSwaha Pattanaik氏が以前指摘したように、典型的な資本コスト試算は、名目・実質金利に合わせて減少していない。
こうしたモデルは0.1%以内の精度があるかもしれないが、実際の結果は、ほぼ必ずといっていいほど経営者の直感を裏付けている。こうした洞察は、現実に入手可能な限られたデータに、必ずしも十分に理解されているわけではない経験則を適用して得られるものだ。
学問としての心理学は、ヒューリスティクス(直観的判断方法)の研究を通じて、こうした経験則を支援する。
多くの職業において、機械は人間の直感を再現することができ、さらにそれを改善する場合さえある。オートマトン(自動的な情報処理装置)は人間よりも多くのデータを統合でき、失敗から学ぶように訓練することが可能だ。これらのエキスパートシステムの支援によって医師が下す診断を改善できるのであれば、恐らく企業による投資判断を改善することにも役立つだろう。試してみる価値があるのは明らかだ。
あるいは、統計について考えてみよう。
普通の人間の脳では、確率や統計的有意性に関する科学のための優れた経験則をなかなか発見できないように思われる。たとえ科学者であっても、一般人に比べて生まれつき統計が得意というわけではないことも多い。医師たちが自分の経験よりも統計的優位性のあるサンプル群を用いた研究成果を優先するようになるまでには、数十年に及ぶ説得が必要だったのである。
学習心理学をもっとしっかり理解すれば、10年前に金融危機が始まったときにデビッド・ビニア氏が提示したような、統計的に見れば恐ろしくひどいヒューリスティクスを回避出来たかもしれない。
当時ゴールドマンサックスの最高財務責任者だったバイニア氏は、同行のトレーダーたちが「数日間にわたり、25シグマのイベントに悩まされた」と語った。日常的な言葉で言い換えれば、信じがたいほどの不運に見舞われた、と言ったことになる。これはひどい説明だ。これほどの不運は、英国の全国宝くじを買って42日間連続で高額賞金が当たるほどの確率でしか起らない。
典型的なエコノミストであれば、恐らく、統計によって説明できることと、できないことの違いを理解することが、平均的な人間よりも得意だろう。経済学における最近の研究のうち、驚くほどの部分が、高度な統計手法を用いて膨大なデータから隠れたパターンを発見することに捧げられている。
だが、統計に関する考え方をもっと深く学べば、エコノミストはもっと明快に考えられるようになり、相関関係と因果関係を混同するという、ありがちな失敗を避けやすくなるだろう。
また、統計的な直感が磨かれれば、たとえばコスト上昇と汚染抑制といったトレードオフを彼らが分析する際にも有益だ。
だが最終的には、こうした議論には、精神の別の部分を使う必要がある。つまり、倫理的、もしくは道徳的機能だ。エコノミストは一般的に、倫理的に中立だと自称するものだが、どうすれば経済ないし社会が本当によいものになるのかを議論する明快な方法がない場合、多くは、効率や生産量の最大化といった倫理的に見れば低レベルの目標に後退してしまうのが常である。
倫理性について語る心理学者は、実質的には哲学者になっている。この流れに参加すれば、エコノミストとしても得るものがあろう。善き人生、善き社会については、1000年にわたって哲学的議論が繰り広げられてきたが、決定的な結論に到達したとは言い難い。だが、プラトンからジョン・スチュアート・ミルに至る著作を研究すれば、「効用の最大化に努める合理的な主体」という古典経済学の理念に対するセイラー教授の批判ですら、かなり些細なものに見えてくる。
本当の意味で情報に裏付けられた心理経済学によって、今日の議論はレベルアップするだろう。
このところ盛んに議論されている格差の問題を例に取ろう。
ヒューリスティクスの改善により、研究者らは政治家たちに対し、税制や給与構造、移民政策など変更がどのような影響を生み出すか、より明確な考え方を提示できるだろう。統計的な理由付けが改善されれば、たとえば所得格差や世代間での社会的流動性といった指標の重要性を深く理解する人々も増えるだろう。
さらに、道徳に関する思索が深まれば、格差をめぐる最近の議論ではほとんど表に出ない「公正さ」の問題にも、より知的な取り組みが可能になる可能性がある。
機会平等と結果平等の違い、さらには、富裕国の住民に貧困国との格差是正を支援する義務があるか否かといった問題も、もっと大きな関心を注ぐに値する。
ニューヨーク市立大学大学院センターの研究者ブランコ・ミラノビッチ氏は、こうした国家間のギャップによって、グローバルな所得格差が富裕国内部の格差よりもはるかに大きくなっていることを示した。
現代思想の他の潮流からあまりにも隔絶していることの多いエコノミストという職業に関して、行動経済学は、正しい方向に向けたかなり控えめな前進と言えるだろう。哲学的な要素を備えた本当の心理経済学こそ、はるかに大きな改善をもたらすことになろう。
*筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)
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