マルコ・ポーロの遺言状を再分析、先進的な一面など判明

マルコ・ポーロの遺言状を再分析、先進的な一面など判明
 4月17日、「東方見聞録」で知られるマルコ・ポーロの遺言状を3年にわたって分析した結果、ポーロが中国に行ったとの説を支える根拠とともに、新たなポーロ像も明らかになった。写真はローマで10日撮影(2018年 ロイター/Alessandro Bianchi)
[ローマ 17日 ロイター] - 「東方見聞録」で知られるマルコ・ポーロの遺言状を3年にわたって分析した結果、ポーロが中国に行ったとの説を支える根拠とともに、新たなポーロ像も明らかになった。
1324年、死期が迫ったポーロはベネチアの自宅に司祭兼公証人を呼び、大きさ67x27センチの羊皮紙に遺言をラテン語で口述筆記させた。
遺言を所蔵するベネチアの国立マルチャーナ図書館は複製した羊皮紙を含む大型本を共同出版。版元のスクリニウム社の担当者は、「前回の写本は150年前のもの。今回の版は、最新の科学技術と学術基準の文献学を駆使して作成され、誤りが修正されている」と述べた。
ポーロは、「神が私の魂を罪から解放してくださるため」に、ベネチアの教会組織に金銭を提供し、延滞債務を恩赦し、タタール人の使用人を自由にした。寄付金以外ほぼ全所有物を妻と3人の娘に譲渡しており、息子がない場合は財産を親族の男子に譲っていた当時の慣習と異なる措置だったという。出版担当者は「この点で、ポーロはかなり時代を先取りしていた」と述べた。
20世紀末には、一部歴史家がポーロは実際には中国に行かず、黒海で出会ったペルシャ人商人からモンゴル帝国の様子を聞いたとの説を展開したが、大半の歴史家がこの見方に反対していた。
版元の担当者は、遺言にあるように、モンゴルに住むタタール人の使用人がいたことは、中国に行った事実を裏付けていると指摘。また、死後に明らかになった所蔵品リストに、極東産の高価なじゃ香があったことも証拠になるとみられる。

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