コラム:中国発デジタル通貨 CBDCの忍び寄る影=大槻奈那氏
9月13日、フェイスブックのリブラ騒動がやや沈静化した8月初旬、暗号資産の世界に別の動揺が走った。写真は中国紙幣。2017年5月撮影(2019年 ロイター/Thomas White)
大槻奈那 マネックス証券 執行役員チーフ・アナリスト
[東京 13日] - フェイスブックのリブラ騒動がやや沈静化した8月初旬、暗号資産の世界に別の動揺が走った。中国人民銀行の高官がCBDC、即ち、中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency )の発行準備が整ったと述べたのだ。
中国は、2017年前半まで、暗号資産取引で世界最大級を誇った。これを行き過ぎとみた中国政府は、同年9月、突如イニシャル・コイン・オファリング(ICO)の禁止と国内の暗号資産取引所の閉鎖を命じた。その後の日本の暗号資産フィーバーを尻目に、中国の暗号資産取引は一気に沈静化した。
ところが中国政府は、その裏側で、CBDCの研究を着々と進めていた。研究がスタートしたのはマウント・ゴックス事件後、暗号資産市場が一時壊滅状態に陥った直後の2014年だ。現在も、人民銀行からは離れた”密室“で最終段階に向けての開発が日夜行われているという。
<“伏兵”リブラが中国の背中を押した>
中国が5年越しの研究をいま発表した背景には、リブラの影響が大きいと推測されている。7月8日、中国人民銀行の頭取はリブラが国際決済の場で使われた場合の懸念を表明している。その理由として、「金融政策や、財政的、国際的な金融システム全体に多大なる影響を与えかねない」としている。しかし実際には、中国自身の基軸通貨への野望が見え隠れする。
通貨が暴落した国で暗号資産が買われる傾向があることはよく知られている。2013年に金融システムが混乱に陥ったキプロスが最初の例であり、最近ではアルゼンチンでありベネズエラである。特にアルゼンチンでは、先月、短期国債の支払いを巡り一時デフォルト状態に陥ったことを受け、ビットコインへの資金流入が急増している。
しかし、暗号資産への依存は、通貨が暴落した国だけの話ではない。実は、先進国でも、信用力の低い国ほど暗号資産の信頼度が高く、格付けと暗号資産の信頼度には強い負の相関がみられる(グラフ参照)。現在、多くの先進国で、高齢化や景気浮揚のために財政支出が拡大している。こうした動きはやがて国の信用力を低下させ、ひいては通貨の信認を危うくする懸念もある。そうなると、現在の新興国のように、先進国でも暗号資産が逃げ場となるかもしれない。
今の資金の逃避先としては、金(ゴールド)が主流だ。暗号資産はその代替になるのか。黎明期の暗号資産なら、答えは速攻で「ノー」だっただろう。暗号資産は、通貨の3要素、即ち、価値の尺度にも、交換手段にもならず、価値の蓄積もできない。金は、これらがある程度可能だ。しかし、今後、リブラのように主要な法定通貨などに連動したステーブルコインが決済手段として利用されはじめたら、これらの要素を満たせるかもしれない。むしろ、金と比べて、交換手段という意味では勝る可能性もある。
昨年、米国の暗号資産運用会社グレースケールは「Drop Gold(金を捨てよう)」というテレビCMを流し話題となった。実際、今年に入り、米国株が0.5%以上下落した27営業日のうち金は20営業日、暗号資産も18営業日上昇し、いずれにも一定のヘッジ効果が見られた。しかし、これらの日の平均上昇幅を見ると暗号資産が金の3倍以上と、暗号資産に軍配が上がった。
<リブラの向かう先は“中国外し”か>
将来的には、一部の先進国からも資金が逃避する可能性があるなら、その行先がリブラとなることは、中国としては容認できないだろう。リブラは“中国外し”の通貨となる可能性が高いためだ。
リブラはその信用力を担保するため、発行額と同額の裏付け資産を準備する。裏付け資産は、「安定性があり評判の高い通貨で、中央銀行の発行する預金や政府証券」がベースとされ、いざという時の流動性や換金性も考慮されて決まる。
9月10日、フェイスブックは米上院議員に対し、「裏付け資産はドル、ユーロ、ポンド、円、シンガポールドルが含まれる可能性が高い」と述べた。この議員は、中国人民元をリブラの裏付け資産に含まないよう求めたが、いずれにせよ、リブラの構想や設計を記したフェイスブックのホワイトペーパーには「安定して信頼できる中央銀行が発行した通貨」にペッグするとされており、それに照らして考えると、人民元は基準に該当しないようにみえる。
しかも、中国は、フェイスブックの利用を禁止している。リブラの重要なプラットフォームが使えない国の通貨を含める理由は少ないのではないか。
仮にリブラが世界の決済通貨として本格的に使われるようになれば、人民元の地位は相対的に低下しかねない。2016年、念願だった国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨入りした中国にとって、リブラは、思わぬ“伏兵”だっただろう。
<CBDCの正体は>
中国のCBDCの狙いの一つは、現金の非効率性を補うことだ。
「E人民元」とも称される。日本のキャッシュレス社会と同じ発想だ。流通コストや保管コストがデジタル通貨の方が紙幣や硬貨よりはるかに安い。
しかし、中国では、すでにアリペイやテンセントのウィーチャットペイによるモバイル決済が浸透している。今さらE人民元が必要なのか。ところが、モバイル決済先進国とはいえ、中国ではまだ紙幣がないわけではなく、その偽造は絶えない。E人民元は偽造紙幣撲滅につながる。
さらにE人民元には現在のモバイル決済にはない利点がある。まず、現在のモバイル決済では、銀行口座を経由するのに対して、新しいE人民元は、銀行口座に頼らない仕組みだとされている。
恐らく、中央銀行が発行した電子通貨が、民間銀行や銀聯、アリババ、テンセントに対して供給されるのだろう。それを企業や従業員がブロックチェーン等の仕組みで受け取り、そのままお店などの支払い手段として用いる。まさに現金の代替となるものだ。今のスキームよりも効率性が高いだけでなく、中央銀行が情報を集めやすく、アリペイとウィ―チャットペイに情報を吸い上げられていくという心配もない。
また、中国政府は、リブラにはない技術を採用するとしている。送金にはインターネットやモバイル接続も不要だという。中国では、停電などが原因でモバイル決済ができなくなったスーパーで、レジに長蛇の列ができている様子が報じられることがある。こうしたリスクは軽減される。
さらに、リブラのように民間の「リブラ協会」がブロックチェーンで分散管理するのと異なり、中国のE人民元は中央政府が管理する。その評価は分かれそうだが、ひとまず、永続性は高いと考えられよう。
<注目される「独身の日」>
中国は、新通貨の発行の時期を、「早ければ11月11日」としている。この日は、中国の消費者にとって一大イベントである「独身の日」だ。アリババなどのEコマースを通じて、1日で日本最大のECサイト楽天の年間売上高を超える金額が動く。この日を機に一気にデジタル通貨の利用を促進しようという意図なのかもしれない。
それでもまだ、国際送金の可能性については先が見えない。国外で活躍する華僑や、中国が主導する国際開発金融機関、アジアインフラ投資銀行(AIIB)などの投融資を通じて広めていくのか、あるいは、ウィ―チャットペイやアリペイといった中国国内中心のプラットフォームをグローバルに拡大していくのか。
一方、リブラの前には暗雲が垂れ込めている。12日には、フランス政府が、欧州でのリブラの開発を阻止すると表明した。E人民元の方向性にも不透明感は多いが、先進諸国がリブラ叩きをしているうちに、じわじわと国際金融市場に進出してくる可能性は否定できない。
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*大槻奈那氏は、マネックス証券の執行役員チーフ・アナリスト兼マネックスユニバーシティ長。東京大学卒業。ロンドン・ビジネス・スクールで経営学修士(MBA)取得後、スタンダード&プアーズ、メリルリンチ日本証券などでアナリスト業務に従事。2016年1月より現職。名古屋商科大学大学院教授、二松学舎大学客員教授、クレディセゾン社外取締役、東京海上ホールディングス社外監査役を兼務。財政制度審議会財政制度分科会委員、東京都公金管理アドバイザリー会議委員などを務める。
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編集:北松克郎
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