コラム:富の集中、付きまとう不公正感 富豪にその価値はあるか
Edward Hadas
[ロンドン 29日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 米連邦上院議員などを務めた政治家エバレット・ダークセンはかつて「ここにもあそこにも10億ドルが転がっている。近いうちあなたも大金の話をするようになる」と発言し、大きな政府を批判するという文脈で10億ドルが大金だとの見方を示した。もちろん個人であれば、例えばアンゴラのドスサントス前大統領の長女イザベル氏のように、数十億ドルの資産があればまさに大金持ちと言える。実際、フォーブスの推定では彼女の資産額は21億ドルだ。
イザベル氏は一体どうやってこれほどの富を蓄積したのだろうか。ある金融サイトによると、米国で上位1%の富裕層に入るには、最低でも32万8551ドルの年収が必要となる。この基準を用いるとすれば、イザベル氏が現在の資産額に到達するのは6392年もの期間を要する。しかもこれは課税も支出もゼロという前提を置いた上での話だ。
もちろん最近の報道を信じるのであれば、イザベル氏はそれほど延々と年月をかけて蓄財したわけではない。現在のアンゴラ政府はイザベル氏をマネーロンダリング(資金洗浄)やあっせん収賄、文書偽造などさまざまな経済犯罪に関与したと糾弾している。同氏側は不正行為を一切認めていない。
<蓄財の方法>
では法的な問題はいったん脇に置き、基本的な経済倫理の観点で考えてみよう。イザベル氏は、こんな莫大な資産を持つに値するのだろうか。そして10億ドルの資産を保有するだけの価値ある人は存在するのだろうか。
自由市場を強力に提唱する人々なら、後者の疑問に対して熱狂的な態度で「イエス」と答えるかもしれない。10億ドルの資産というのは、投資に成功した結果だと主張するだろう。それは自らが創業したか、自分自身もしくは両親、先祖が経営してきた企業の株式であることが多い。これらのキャピタルゲインは、抜け目なさと懸命な努力に対する市場からのご褒美なのだ。
ただしイザベル氏の資産は、この原則が当てはまる最適な事例ではないだろう。結局、同氏の資産の大半は、アンゴラの石油収入に基づいていた。同国中央銀行の報告では、石油収入は年間で360億ドルに達する。そしてイザベル氏の資産規模は、アンゴラ・カトリック大学の調査で国民の42%が貧困状態にある同国においては場違いなほどに突出している。
一般国民の貧しさとイザベル氏の富裕ぶりはひときわ対照的だが、こうした状況は同氏だけの話ではない。多くの億万長者の富は、社会的・経済的地位の高い両親や友人に恵まれるか、統治や規制の甘さをうまく利用する機会を得ることができた結果、もたらされたものでしかない。
この種の富には正当な価値がないと非難する上では、何も革命的な情熱を持ち出すまでもなく、純然たる数値がその理不尽さをより浮き彫りにしているのは、ロシアの新興財閥などの蓄財ぶりから分かる。
<過大すぎる報酬>
もっと競争的な市場で生み出された資産は、そこまではっきりと怪しくはない。しかしフォーブスに掲載された資産10億ドル超の金持ち2057人(トップはアマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏の1310億ドル)全てに対して心穏やかでいられないだけの、十分な経済的理由がある。
こうした起業家が、自社の成功に多大な貢献をした事実は否定しようがない。とはいえ、報酬が過大すぎるのだ。アーリーステージの出資者は、本来経済のより広い範囲に提供されるべき利得を吸い上げる。彼らのシードマネーは、新しいことを成し遂げ、普及させることができるのに報われないシステムやサービス、知識に比べればずっと価値が小さい。大金持ちが増え続けている事実からは、彼らが主張するよりも実は自由市場経済の競争が弱いこともうかがえる。
19世紀にカール・マルクスは、資本家が肥大化する半面、労働者が弱小化しすぎていると不満をあらわにした。アマゾンの倉庫で働く低賃金労働者は、マルクスの思想に同意するかもしれない。ただしマルクスはあまりにも狭い範囲でしか考えていない。繁栄というのは全体としても、特定企業においても、個人が10億ドルを手にするようになれば有益の度がすぎて毒になる。
<寄付より課税>
この議論が正しいなら、イザベル氏はより広範な社会問題の一端ではないだろうか。豊かさに対する物言わぬ社会的な貢献がいったん認知されれば、あらゆる富豪の資産の相当部分は不正に得たと思えてくる。公正を期す上では、富の創出に役立った社会に資産を還元する必要がある。
「寄付誓約宣言(ギビング・プレッジ)」はその1つの方法だ。これは資産の大半を社会奉仕に捧げることを約束する富豪グループの取り組みで、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏がその中心にいる。ゲイツ氏の資産は、貧困撲滅プログラムや医学の研究開発などに使われている。
ゲイツ氏とその妻が設立したギビング・プレッジを行う財団は、ほとんど基準に照らしても素晴らしい業績を積んでいるが、寄付という原則に疑問が残る。寄付という行為は、不当な強い影響力を続けるのをやめるのに比べると、不正に得た富を返還する色合いが弱まる可能性がある。
現在のシステムでは、企業の利益を確実に社会に広く分配するには、富裕層への課税が恐らく最も効果がある。ガブリエル・ズックマン氏のようなエコノミストは常に、格差が生み出す社会の緊張を和らげる方法として、富裕層向け課税を提唱しており、そうした主張は米国でもアンゴラでも訴求力を持つ。それでも昨今、富豪が次々に生まれる事態は、社会システムにより基本的な「穴」があることを物語る。一部の個人に支払われる報酬は、経済的な現実から逸脱している。
(筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
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