コラム:米朝ユーフォリア崩壊で円高再来の現実味=斉藤洋二氏

コラム:米朝ユーフォリア崩壊で円高再来の現実味=斉藤洋二氏
 5月22日、ネクスト経済研究所の斉藤洋二代表は、米朝対立の沈静化観測に支えられてきた円安相場は逆回転を始めるタイミングに差し掛かっている可能性があると指摘。写真はテレビ画面に映る金正恩朝鮮労働党委員長、都内で2017年9月撮影(2018年 ロイター/Issei Kato)
斉藤洋二 ネクスト経済研究所代表
[東京 22日] - 3月後半に104円台で底値を探っていたドル円相場はその後上昇に転じ、5月18日には111円台に乗せ、数カ月内に年初来高値113円をトライするとの予想すら出始めている。
この背景には、武田薬品工業によるアイルランド製薬大手シャイアー大型買収(総額約7兆円)に絡んだ実需玉や、米金利高(米10年債利回りは22日現在3%近辺)を反映したドル買いなどが指摘されている。
だが、何よりも大きな要因は、昨春以降、折に触れリスクオフの円高に作用してきた米朝対立の沈静化観測ではないだろうか。北朝鮮の脅威と隣り合わせの日本に安心感が広がり、円安地合いが強まったことは大きい。
2月の平昌冬季五輪以降、朝鮮半島では南北融和ムードが高まり、さらに米韓朝3カ国間での非核化に向けた動きが鮮明化してきた。実際この間、北朝鮮を複数回訪れ、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談したポンぺオ米国務長官(中央情報局=CIA前長官)の姿は、1970年代初頭に米中の電撃的な国交回復(ニクソン・ショック)をもたらしたキッシンジャー大統領補佐官(当時)を彷彿させるものだ。
また、1989年11月のベルリンの壁崩壊から1990年10月の東西ドイツ統一に至る過程で欧州を覆ったユーフォリア(陶酔感)の記憶もよみがえらせてくれる。
もっとも、現実を冷静に見つめれば、朝鮮半島の非核化については、即時の核兵器廃棄とその査察を制裁解除の出発点とする米国と、非核化の段階的実施を約束することの見返りに早期の制裁緩和を取り付けたい北朝鮮との交渉スタンスの違いは明らかである。
実際、米朝ともここにきて、6月12日にシンガポールで予定される首脳会談を中止する可能性をほのめかすなど、雲行きが再び怪しくなってきた。「米朝ユーフォリア」に支えられてきた円安相場が、逆回転を始めるタイミングに差し掛かっているのかもしれない。
<リアルタイム政治ショーが相場狂わす時代>
ところで、このところの国際政治は一段と映像化が進み、政治ショーの様相を呈している。
韓国と北朝鮮の軍事境界線がある板門店で4月27日に行われた南北首脳会談では、両首脳の固い握手に始まり、散策、橋の上での会談、共同会見と見る者を飽きさせない演出が映像を通じて逐次、世界の隅々まで届けられた。このような為政者による政治ショーが、リアルタイムで投資家の目を曇らせる時代になったと言えよう。
例えば、南北首脳会談で「完全な非核化を通じ、核のない朝鮮半島の実現」を目指すことは確認されたが、今後の具体的なプランについては事実上、米朝首脳会談に委ねられたわけであり、市場が「地政学リスクは後退した」と楽観視できる材料は実は全く手元にないと言ってよい。
むしろ、過去の雪解けムードがいずれも短命に終わり、北朝鮮の核ミサイル開発が水面下で予想を上回るペースで進行したこと、また金委員長による政敵の粛清や異母兄の暗殺疑惑などを考えれば、南北融和機運は北朝鮮の時間稼ぎにすぎないとの疑念を持つ方が妥当ではないか。
米朝首脳会談で非核化に向けた工程表が示され、実務者会議へと着実に歩が進められなければ、とても数カ月内に113円台などといった「リスクオンの円安」シナリオが説得力を持つとは思えない。
<南北統一は見果てぬ夢か>
それにしても、市場を覆う楽観の正体は何か。肝心要の「北朝鮮の非核化」について、現時点で何ら出口が見えていないことを考えると、非核化の成否は別として、南北の政治的融和がこのまま進み、東アジア情勢の安定化がもたらされるということだろうか。
だが、そもそも南北の政治体制の違い、そして何より経済的コストの大きさを考えれば、融和の先に統一の青写真を描くことは至難の業だ。例えば、東西ドイツ統合コストは1.3兆ユーロ(現在のレートで170兆円)から多くて2兆ユーロ(同262兆円)に上ったといわれるが、朝鮮統一コストはその倍以上の5兆ドル(同550兆円)に達するとの試算もある。
当時の東ドイツは西ドイツとの対比で人口が4分の1、1人当たり国内総生産(GDP)は3分の1程度、そして社会保障制度などもある程度整備されていたが、北朝鮮は韓国の半分の人口を有しながら、1人当たりGDPは韓国の数%にすぎないとみられている。さらに社会保障制度もぜい弱で産業もほとんど育っていないため、統合コストは莫大なものとなる。
世界経済のけん引役だった西ドイツでも東ドイツとの統合コストにしばらく苦しんだことを考えれば、たとえ統一後のニューフロンティアから韓国が経済的メリットを享受できるとしても初期段階でのコスト負担に耐えることは極めて難しい。さらに北朝鮮の低賃金労働力が大量流入してくれば、韓国の生活水準が引きずられて大きく下落するなど国民経済には深刻な影響が広がる。
このように考えると、早期統一がいかに非現実的であるかが見えてくる。となると、市場を覆うユーフォリアの正体は、やはり北朝鮮の軍事的脅威が後退するということなのだろう。つまり、現時点で全く成果がどうなるか分からない米朝首脳会談頼みということになる。
そして、米朝首脳会談が映像的にいかにうまく演出されたとしても、その後の実務交渉が進まなければ、このユーフォリアは脆くも崩れるだろう。そのタイミングは早ければ6月にも訪れると筆者は考えている。
*斉藤洋二氏は、ネクスト経済研究所代表。1974年、一橋大学経済学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。為替業務に従事。88年、日本生命保険に入社し、為替・債券・株式など国内・国際投資を担当、フランス現地法人社長に。対外的には、公益財団法人国際金融情報センターで経済調査・ODA業務に従事し、財務省関税・外国為替等審議会委員を歴任。2011年10月より現職。近著に「日本経済の非合理な予測 学者の予想はなぜ外れるのか」(ATパブリケーション刊)。
*本稿は、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。
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