コラム:日米の為替条項がもたらす「円高余地」=尾河眞樹氏

尾河眞樹 ソニーフィナンシャルホールディングス 執行役員兼金融市場調査部長
[東京 16日] - ムニューシン米財務長官は、インドネシアで先週末開催されたG20(20カ国・地域)財務相・中央銀行総裁会議の終了後、日米物品貿易協定(TAG)において、日本に通貨安誘導を制限する「為替条項」の導入を求める考えを示したという。
米国はメキシコ、カナダとの間の新たな自由貿易協定「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」においても為替条項の導入で一致。米韓の自由貿易協定(FTA)では、あくまで強制力を持たない「付帯協定」の位置付けだったが、為替条項が盛り込まれており、日本にも同条項の導入を強く求めてくる可能性が高まっている。
茂木敏充経済財政・経済再生担当相は14日、「日米間で為替の話が問題になっているとは思わないが、必要な議論は財務相同士で緊密に行う」と語った。また、麻生太郎財務相も16日の閣議後会見で、「基本的に為替の話を通商にいれることはない」とクギを刺した。ムニューシン長官による「為替条項」への突然の言及に、日本の当局も戸惑いを隠せない様子だ。
<為替条項による円高は一時的>
ただ、茂木担当相が述べた通り、日米間ではいまのところ為替が問題になっているわけではなく、同条項が導入されたところで、必ずしも即座に円高誘導が始まることを意味しない。とはいえ、金融市場では「為替条項」導入の可能性が高まるだけで、「これ以上の円安は、米国政府が容認しない」とのイメージが強まるため、円売りを進めにくくなるだろう。
米韓のFTAを例にとれば、為替条項は、1)競争的な通貨切り下げを禁じる、2)金融政策の透明性と説明責任を約束する、といった内容だった。同様の条項となれば、米国は日銀の強力な金融緩和に対しても注文をつけてくるかもしれない。
米韓FTAの場合、為替条項が議論されたのは今年の3月。韓国ウォンは、一時的に2.5%程度対ドルで上昇したが、6月以降はむしろ5%程度ウォン安が進んだ。この背景には、米国の利上げによってドル高・新興国通貨安が進んだことに加え、6月12日に行われた米朝首脳会談後に、トランプ大統領が米韓合同軍事演習の中断と在韓米軍の撤収に言及したことで、米韓同盟の弱体化懸念が広がったことがある。
韓国ウォンの値動きを踏まえれば、仮に今後ドル円が円高に反応したとしても、一時的なものにとどまるのではないか。
ちなみに、USMCAの為替条項には、1)為替レートは市場の自由な変動に任せること、2)市場介入なども含め、競争的な通貨の切り下げを避けること、3)ファンダメンタルズを強化することで、為替相場の安定を図ること、などが盛り込まれている。
為替条項が導入されることになった9月上旬から約1カ月で、メキシコペソとカナダドルはそれぞれ3%、対ドルで上昇した。ただ、これは「為替条項」云々よりも、協定そのものの成立に対して市場の警戒感が高く、その不透明感からメキシコペソやカナダドルが売られていたため、合意に至ったことによる安心感で買い戻されたとみている。
いずれにせよムニューシン米財務長官の発言が報道された時点の112円台前半をスタート地点とし、同水準から2.5%─3%程度の円高とすれば、最大でも対ドルで109円台前半から108円台後半がメドとの計算が立つ。
<注目集める米為替報告書>
米財務省が今週発表する為替報告書も、これまで以上に注目を集めている。トランプ米大統領は、中国が為替操作国だと主張しているが、財務省スタッフは中国は人民元を操作していないと報告している。今回、中国が為替操作国に認定されなければ、米中間の緊張が幾分和らぎ、市場心理は改善しよう。
もちろん、為替報告書には、トランプ大統領の意向が強く反映されるため、中国が為替操作国に認定される可能性は捨てきれない。しかし、中国は関税などの制裁を、米国から既に受けており、環境に著しい変化はない。制裁関税の対象範囲が、中国からの全ての輸入品に及ぶ可能性がこれまでよりもいくらか高まる程度である。為替市場の反応も限定的ではないか。
このように、米国選挙前に為替が話題に上りやすい点は、過去の中間選挙前後の傾向をみれば明らかだ。投票日を100として、前後1年間のドル円相場をみると、例えば2014年などの例外はあるものの、投票日前はドル安円高の傾向が見られるが、投票日以降はドル円が下げ止まるか、緩やかに反転上昇している。
大統領選に比べればインパクトは小さいものの、中間選挙後は政治的な不透明感が後退することにより、ドル円相場も落ち着きを取り戻すだろう。中間選挙の人気取りのための為替政策を巡る米政府の動きは、仮にドル円相場に影響を与えたとしても一時的とみている。
<本格的なドル安トレンドの開始時期>
問題は米国の金利動向だ。最近、米国では長期金利の上昇を嫌気して株価が急落するなど、やや大きめの調整局面を迎えている。確かに、S&P500総合株価指数が、長期にわたり上回っていた200日移動平均線を下抜けたのは気がかりだ。史上最高値水準を取り戻すまでにはそれなりに時間がかかるかもしれない。
しかし、米国経済が良好な中での長期金利上昇は特別なことではない。イールドカーブがフラット化ではなく、上方に平行移動するならば、それが極端なスピードでない限り「良い金利上昇」といえる。これを踏まえれば、株安・円高が長引くことは考えにくい。
一方、今後米連邦準備理事会(FRB)の利上げによって、イールドカーブのフラット化を心配する声もある。ただ、これも当面の間は、米国経済を極端に冷やす要因とはならないはずだ。過去、利上げによって米国経済が景気後退に陥ったのは、長短の実質金利が潜在成長率を上回った後のことである。
しかし、現在の環境はだいぶ異なっている。米国の潜在成長率と、インフレ率がそれぞれ2%付近とすれば、長短金利が3%まで上昇しても、実質金利は1%となり、実質金利は潜在成長率を超えることはない。心配すべきは、実質金利が2%を超える水準まで名目金利が上昇する局面が訪れた時だが、当面それは起きそうにない。
筆者は、米国の景気減速を見越した本格的なドル安トレンドが始まるのは、2020年後半から21年以降だとみている。もちろん、それまでにもしばしば大幅に円高に振れる局面はあるだろうが、それらはみな一時的な調整にとどまるのではないか。
(本コラムは、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替に掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*尾河眞樹氏は、ソニーフィナンシャルホールディングスの執行役員兼金融市場調査部長。米系金融機関の為替ディーラーを経て、ソニーの財務部にて為替ヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析、および個人投資家向け情報提供を担当。著書に「本当にわかる為替相場」「為替がわかればビジネスが変わる」「富裕層に学ぶ外貨投資術」などがある。
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編集:下郡美紀

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