コラム:安倍政権「初心」回帰で円安再始動あるか=植野大作氏

コラム:安倍政権「初心」回帰で円安再始動あるか=植野大作氏
 7月11日、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト、植野大作氏は、都議選で政治的な深手を負った安倍政権の失地回復策は、為替のみならず、株・債券にも思わぬインパクトを与える可能性があると指摘。提供写真(2017年 ロイター)
植野大作 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 チーフ為替ストラテジスト
[東京 11日] - 東京都議会選での歴史的惨敗を受け、自民党・安倍政権による今後の国政運営に市場の注目が集まっている。現在の衆議院議員の任期満了は2018年12月13日に迫っており、過去、都議選の結果が直後の国政選挙に直結したケースも多かったからだ。
衆院任期4年の半ばである2年を過ぎたら、常に解散・総選挙の可能性を意識、「常在戦場」の心構えで臨むのは永田町では常識と言われている。今回の都議選で惨敗した自民党・安倍政権が、最大でもあと約1年5カ月以内に実施せねばならない次回の衆院選まで、無手勝流の国政運営で臨む可能性は極めて低い。この先、どんな手を打ってくるか注目だ。
まず人事面では、安倍晋三首相は来月早々に内閣改造と党役員人事に踏み切る意向を示している。だが、国務大臣や党役員の一部入れ替えによる人心の刷新だけで「国政選挙5連勝」に十分な国民の支持が集まる保証はない。
第3次安倍内閣(第3次改造)がどのような顔ぶれになるにしろ、大切なのは、「新しい内閣の布陣でどのような政策に取り組み、どのような結果を出すか」になる。
都議選での歴史的大敗から一夜明けた3日、安倍首相は記者団に対し、今後の政策運営について「我々が政権を奪取した時のあの初心に立ち返って、全力を傾ける」との決意を表明している。今後の国政運営に際し、「初心」に戻ることを強調した安倍首相が掲げる政策の優先課題は、一体何になるのだろうか。
そこで改めて、2012年12月に実施された第46回衆議院議員選挙で自民党への政権交代が起きた時に「大多数の有権者が今の内閣に対して最も強く期待していたものが一体何だったのか」について振り返ってみたい。
<黒田総裁続投ならドル円サポートか>
「第1次安倍内閣の退陣後、6年連続で総理大臣が交代する」という国政の迷走が続く中、「政治の安定」が希求されていたのはもちろんだったが、当時長期化していたデフレによる経済の縮小均衡を克服、景気回復による国民生活の向上に主眼を置いた「経済最優先」の主張が支持されて圧倒的な議席を獲得したことが、現在に至る長期政権の出発点だった。
その後の安倍内閣の国政運営の足跡をみると、政権交代の直後は、「大胆な金融緩和」と「機動的な財政運営」を両輪に「経済最優先」のスタートを切った印象が鮮烈だった。だが、しばらくして政権基盤が安定し始めると、「特定秘密保護法」「集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更」「組織的犯罪処罰法の改正」などに多大の政治的労力と時間を費やすなど、「安保最優先」の国会運営に傾倒する時期が増えた印象も否めない。
事実、アベノミクスの開始から間もなく5年近くが経つが、日本の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)の上昇率は前年比プラス0.4%にとどまっており、政権発足当初に安倍首相が「日銀法改正」の可能性まで示唆して白川方明(当時)日銀総裁に呑ませた「物価目標2%」には遠く及ばない日々が続いている。非常に期待されていた賃金の上昇についても、その恩恵が国民全般に及んでいるとは言えないのが実情だ。
その意味では、「初心」に戻ると表明した安倍首相による今後の国政操舵の要諦が、「経済最優先」の原点回帰色を強めてくるか否かに注目したい。現在、どのような政策オプションが検討されているのだろうか。
「大胆な金融緩和」については、「すでにやり過ぎており、これ以上の継続は副作用の方が重くなる」との批判も一部に根強い。だが、これまで安倍首相は黒田東彦・日銀総裁に信頼を寄せ、金融政策の舵取りについては一任している。今のところ、日銀執行部は淡々と現在の「長短金利操作つき量的・質的金融緩和」を続ける方針のようだ。
一方、政官財学界の一部には、昨年夏の参院選後に盛り上がった「政府・日銀ヘリマネ騒動」の余韻も残っている。「金融政策の面から、まだ出来ることはある」と主張する強硬なリフレ派からは、逆の意味で現在の日銀の政策を批判する意見もあるという。
そうした状況下、来年4月8日に任期を迎える黒田日銀総裁の後任人事が、非常に注目されている。黒田総裁続投の場合、市場に大きなサプライズは走らず、「金融政策の正常化を進めている米国との差が一段と開く」との期待がドル円相場の下値をサポートする構図は変わらないだろう。だが、「誰か」に代わる場合は、人選次第で市場の期待は異次元緩和の拡充・縮小のどちら側にも揺り動く可能性がある。
<消費増税凍結、規制改革加速の可能性は>
「機動的な財政政策」についても、5日には自民党の当選2回の衆院議員グループ28人が公共事業や教育支出を増やし、基礎的財政収支の黒字化目標を撤回するよう求める提言書を政府に出した。これ以上の公共投資を追加しても人手不足の壁に阻まれて即効性は薄そうだが、政治的には次の総選挙をにらんで財政出動をアピールすること自体に意味があるのかもしれない。
税制面では、浜田宏一内閣官房参与(米イエール大学名誉教授)が「目からウロコが落ちた」と言って話題になった「シムズ理論」などを論拠に、永田町界隈のリフレ派の間で「消費増税の凍結」を宣言すべきだ、との意見もあるらしい。自民党内には財政規律重視派もいるが、その顔ぶれをみると、安倍首相とは一定の距離を保つ有力議員がコアになっている印象が強い。国政選挙を前にして、安倍首相が財政規律重視の考え方に傾く可能性は低いだろう。
その他、アベノミクスの「第3の矢」とされた「民間投資を喚起する成長戦略」については、「まだしっかり放たれていない」との市場評価が多い。加計学園に国家戦略特区で52年ぶりとなる獣医学部の新設を認めた理由として、「岩盤規制の打破」を挙げるならばなおさらのこと、市場は日本の成長力底上げに資する規制緩和の追加を求めることになりそうだ。
この点に関し、6日に大枠合意に至った日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)の最終合意に向けた調整や、米国が抜けた環太平洋連携協定(TPP)の参加11カ国だけでの発効を目指した交渉が大きなテーマになっている。自民党内に賛否両論はあるものの、安倍首相は自由貿易の推進に前向きだと伝えられている。打撃を受ける農家への補償などの対策も含め、この先の議論の展開が注目されている。
いずれにせよ、次の衆議院選挙まで、最大でもあと約1年5カ月しか時間は残されていない。今回の都議選後に大手新聞社やテレビ局が実施した世論調査で安倍内閣への支持率は軒並み発足以来最低の30%台に落ち込んでおり、政治的な深手を負った安倍政権が、どのような失地回復策を講じてくるのか、細心の注意が必要だ。
ドル円相場のトレンドは、日本の政策だけで決まるわけではないが、海外の環境を所与の条件としてみた場合、今後の安倍内閣による経済政策の運営次第で「リスクオン」「リスクオフ」のどちら側にも思わぬインパクトが為替市場のみならず、株式・債券などの各市場にも及ぶ可能性がある。
*植野大作氏は、三菱UFJモルガン・スタンレー証券のチーフ為替ストラテジスト。1988年、野村総合研究所入社。2000年に国際金融研究室長を経て、04年に野村証券に転籍、国際金融調査課長として為替調査を統括、09年に投資調査部長。同年7月に外為どっとコム総合研究所の創業に参画、12月より主席研究員兼代表取締役社長。12年4月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、13年4月より現職。05年以降、日本経済新聞社主催のアナリスト・ランキングで5年連続為替部門1位を獲得。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
(編集:麻生祐司)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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