コラム:北朝鮮有事の際、日銀にできること=井上哲也氏

コラム:北朝鮮有事の際、日銀にできること=井上哲也氏
 4月28日、野村総合研究所の井上哲也・金融ITイノベーション研究部長は、万が一、朝鮮半島で有事が起きた際には、国内外の金融市場や国際機関、海外中銀と常時密接なパイプを持つ日銀が果たすべき役割は大きいと指摘。提供写真(2017年 ロイター)
井上哲也 野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部長
[東京 28日] - 北朝鮮情勢を巡っては焦点とされたタイミングこそ通過したが、かつては距離感のある言葉だった「地政学リスク」を実感せざるを得ない状況は今も続いている。
もちろん、今後の事態の展開を予想することは筆者の能力を超えるが、万が一、有事の際に中央銀行がどのように対応できるか、あるいはすべきかを整理する面ではお役に立てるかもしれない。
<国内の決済や市場の機能維持>
物理的被害を伴うか否かにかかわらず、不安心理が広まれば「予備的動機」あるいは「決済手段」としての現金への需要は高まる可能性がある。銀行システム全体として巨額の超過準備を抱える現状は、少なくともマクロ的にはこの課題に対応しやすい面がある。
もちろん、問題が地域的な偏りを伴って発生した場合の対応には工夫が必要だが、金融機関同士で中央銀行当座預金や現金の融通を促すだけでなく、中央銀行が特定の金融機関に資金を貸し出し、また現金を手当てすることは可能であるし、これまでの自然災害のケースでも実績がある。しかも、中央銀行が早期の段階でこうした措置を採る用意を示すことは、金融市場だけでなく国民の不安心理を抑制することにも貢献する。
より広い意味で資金決済システムの運行を維持することも中央銀行の重要な役割だ。なぜなら、いかなる事態でも経済活動を止めるわけにはいかず、そのためには資金の受払いが不可避的に伴うからである。
フィンテックが進展した将来はともかく、現在の日本の資金決済は、最終的には中央銀行が運営する中央集権的システムによって支えられている。実際、中央銀行は金融機関と共同でさまざまなシナリオによる訓練を行っており、大規模な被災に備えたBCP(事業継続計画)も準備している。
そうしたシナリオは、本稿で想定する「有事」そのものでないとしても、短期かつ局所的な課題から長期かつ広範な課題に関わるとみられ、それらの中には、先に見た資金供給の仕組みと相まって、資金決済システムの運行維持に資する要素が含まれる。
ただ、これらを通じて経済活動の維持に必要な資金の融通が実現しても、金融市場は不安心理などを背景に不安定化するかもしれない。この課題に対処する上でも、中央銀行が政策金利を極めて低位に維持し、国債を大量に買い入れている現状は、少なくともマクロ的には好適な面がある。
もちろん、特定の市場が不安定化した場合の対応には別途の工夫が必要となる。この課題には、最終的には政府の経済対策の発動といった根本的対策が求められるが、中央銀行も、過度な不安心理の払拭(ふっしょく)や市場流動性の短期的な維持といった観点では直接的に資産を買い入れることが考えられるし、実際、金融危機への対応を通じて経験を積んでいる。
<外貨資金調達の維持>
金融市場の中でも、クロスボーダーに関わる課題にはより慎重な対応が求められる。なぜなら、この種の事態に関して海外投資家は相対的に情報劣位に陥りがちであるだけに、過度な不安心理や過剰防衛的な行動に陥りやすいからである。
海外投資家のこうした反応が特定の市場で顕在化した場合の中央銀行の対応は先に述べたとおりだ。一方、為替市場自体の不安定化に対しては、日本の場合は為替当局が市場介入や資本規制といった手段によって主として対応することになる。この間、中央銀行は、介入資金の円滑な調達を国内外で支援するといった補助的だが重要な役割を担うこととなろう。
クロスボーダーに関わる領域の中で重要性を増しているのは、日本の企業や銀行による外貨資金の円滑な調達を確保することである。中堅・中小企業を含む広範なプレーヤーがグローバルな経済活動を拡大しているだけでなく、日本が主要な天然資源を海外に依存している以上、外貨資金調達の維持は日本経済にとって不可欠である一方、根源的な調達相手が海外の主体であるだけに、上に見た過度な不安心理や過剰防衛的な行動に陥りやすいからである。
この課題に対しては、中央銀行が一部国と締結している外貨スワップを発動し、その資金を日本の銀行や企業に直接ないし間接的に融通することはできる。ただし、必要な規模や期間が拡大した場合には、中央銀行でなく為替当局が本来の目的に沿って外貨準備を活用することとなろう。
最後に、中央銀行にとっては、国内外の金融市場に対して情報や政策対応の意図を正しくかつタイムリーに伝えることも、上に述べたさまざまな手段の発動に劣らず重要な役割である。
なぜなら、本稿で見た多くの課題は不安心理に起因する面が大きい一方、中央銀行は国内外の金融市場やそれらをカバーする国際機関、および海外の中央銀行と常時密接なパイプを持つだけに、こうした役割を担うのに好適な立場にあるからである。
*井上哲也氏は、野村総合研究所の金融ITイノベーション研究部長。1985年東京大学経済学部卒業後、日本銀行に入行。米イエール大学大学院留学(経済学修士)、福井俊彦副総裁(当時)秘書、植田和男審議委員(当時)スタッフなどを経て、2004年に金融市場局外国為替平衡操作担当総括、2006年に金融市場局参事役(国際金融為替市場)に就任。2008年に日銀を退職し、野村総合研究所に入社。主な著書に「異次元緩和―黒田日銀の戦略を読み解く」(日本経済新聞出版社、2013年)など。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
(編集:麻生祐司)
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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